層雲の中をゆく

脳出血の後、手術入院リハビリ等々、日々の事を書いていきたいと思います。そして層雲の中を抜け、いつの日か、見下ろせば、輝ける雲海に見えんや

やっと退院

長い夏が終わり、秋は一瞬の様に終わろうとしています。今回の入院は、思いの外長かった、半年も掛かろうとは…、いつのまにか冬目前、

この病院は山が近く、ここ数週間でやっと紅葉が見える様になりました。外に出ると秋晴れが心地よく、お出かけ日和だなとか思っていたら冬が、

もう暫くは暖かい様で一安心です。

もう入院はこりごりだ…

風呂に入れないのはつらい、この病院は週2回だった。

よもや、また体が麻痺するとは、本当に気をつけないと、いけないな。

50年生きたぞ

50の誕生日を病院で迎えるとは、昨今の現状を象徴する様でちょっと凹む

気が付けばこの世に生を受けて半世紀、はやいものだ、

ああ、現状を鑑みれば、あの時のあれがマズかったったのでは、どこで間違ったのだろう等と、後悔の念が湧いて来る…、ああ、今を生きねば。

子供の頃、突然の引っ越しで挨拶も出来ずに別れた友人たち、どんな人等だっただろう、どんな遊びをしてたかも曖昧になってしまった、いつか会いに行こうと思ったのに結局実行せずに40年。

インターネットの発達で彼の地の風景の変わりようを遠くからでも確認できるようになった。まさに 隔世の感。

大学の頃は、夜学に入って日中は放送局でバイトして、いろんなところに行けて、刺激的で楽しかったな、

近年の台風中継で「安全な場所からリポートしています」というのを見る度、思い出す

砂浜での台風中継でサンドブラストされたこと。内海と外海の様子がわかる場所でってことだったが、誰だよ砂浜で台風中継しようって言い出したやつ…まだ無茶が通った時代。

ああ、思い出が溢れて涙が、本当は今が一番と言える人生であるべきだが、

ああ、これからどうしよう、

病院では、まだ若いからとよく言われる。入院すると周りの患者は皆さん高齢者、食事時、食堂を前から見ると、高齢社会を実感する。成る程、ここでは若輩者だと思う、100才前後の方もチラホラ、100って事は、俺が生まれたときに今の俺の歳か…まだまだ先は長い様だ。

 

またもや倒れてしまった

一体、なんでこうなっちまったんだろう。

去る、5/29、鼠径ヘルニア手術後の痛みが引き続きある為、外来受診の際、 プレガバリンと言う強い痛み止めを一週間試すことになった。 キツかったら飲まなくても良いとの事で、アセトアミノフェンも一緒に処方された。その夜、夕食後に服薬し、風呂に入ったところ、気分が悪くなり、目眩がして危ないと思い風呂から上がり、ベッドに横になった。翌朝、気がつくと何故か台所の床にうつ伏せで倒れていた。起きあがろうとしたが上手くいかない、仰向けになってシンクの縁を右手で掴んで体を起こそうとしても上手くいかない、なんかおかしいが、助けを呼ぼうとスマホのある居間に移動しようと仰向けのまま床を這って移動、しかしスマホは箪笥の上で手が届かない、そこでスマホの 音声アシスタントを呼び出し家族に電話する様言ったら繋がった。いやぁスマホって素晴らしい、

しかし、朝の連絡がないのを心配した家族は、こちらに来る途中だった。程なく家に着いて、起こしてもらった。そして救急車を呼ばれ病院へ、車内で、左脚を動かす様言われたが右を動かしてしまう、そっちじゃないと言われ、一生懸命左脚に力を入れるが動かない。よく見ると左拳が目の前にある、だが何故ここにあるのか分からない、左手足が麻痺していたのだ。

去年夏のてんかんの時と同じ病院に搬送された

よもや2回目の左半身マヒだ…。今回もてんかんとの話だったが、プレガバリンとの関係が、お医者さんの話を聞いてもよくわからない、プレガバリンは寧ろ、てんかんを抑える方に働くくとか?、だったら尚更なぜ?ビムパッドも去年のてんかん以来ずっと飲んでいたのに…。今回は左半身麻痺まで…、何で…

その後、そのまま入院、この一年で3回目の入院、どうなっているんだ俺は…。

その後、リハビリの為、転院し今に至る。なんとしても左半身を元に戻して家で生活できる様にせねば。

てんかん発作は三度目だが、てんかん後の麻痺は初めてだ、脳出血後の麻痺の状態に戻ってしまった様な感じだ…。リハビリ後も少し麻痺や痺れがあったのを家事などをしながら少しずつ改善してきたのに6年の努力が…あーあ、またやり直しだ、仕方なし、頑張ろう。

 

また入院、今度は手術

鼠径ヘルニアってのになっちまった。脱腸とも言うそうだ。 睾丸が玉袋に降りて来るときの通路に腸が入り込んで起こるとか。 睾丸は、元々お腹の中にあって 生まれる直前に移動するらしい。半世紀近く生きてて初めて知った。世の中知らん事だらけですね。

原因についても、いろいろ考えた。昔から右鼠径部の辺りには痛みがあった。

若い頃にバイク事故で、右睾丸をタンクに思いっきり打ち付けた。タンクはボッコリ凹み、睾丸は4倍くらいに腫れ上がり、腫れが引いたら位置が変わっていた。この事故の後遺症が酷くなったのかと思っていた。

他の心当たりは、翻って昨夏の入院の際、ひどい便秘になって、1時間近く気張っていた事か。人生最大級の便秘だった。

結局、確かな原因は不明だが。

鼠径ヘルニア手術は、外科手術の中でもよく行われるもので、腹腔鏡手術は 術後の痛みも比較的少ないと、聞いていたので甘くみていた。

 術後、それなりに痛かった。 ヘルニアは左右にあってどちらも手術した。左側はさほど痛くないのだが、 右側は中々に痛い。右側が傷が大きくて?しつこく弄ったからだとか、大きめのメッシュを当てたからだとか。

脳出血の時は、術後の痛みの記憶がない。頭蓋骨を開けるより、腹の中をいじる方が、痛いのだろうか?

手術後の夜は、また、せん妄が出そうになったが、やばそうだったので我慢した。

2回だと慣れたもんだ。なんだかなぁ…。

現在、術後7日目、痛み止め飲みつつ、痛みが和らぐのを待ってる。もっと早く帰れると思ったのに。 5日程度の入院って聞いていたのに。早くお家に帰りたい…。

これで入院は何回目だ…えーと…。

 

 

またまた倒れちまった

7/22 夜、買い物の帰り、気分が悪くなり、立っていられなくなり。こいつはヤバいぞと道路脇の階段にへたり込んだ。過去のこともあり、緊急通報しようとスマホを操作しようとするが、何故か上手くいかない、振り返ると不思議だが、高次脳機能障害と関係あるのか?熱などで頭回ってない上に急ごうとたからか?

それで、近くの人に助けを求めた、何となくその方が、私の様子を電話で伝えていたのを覚えている。本当にありがとうございました。まだ入院中ですが、何とか生きてます。

後に、電話の履歴を見たら、ナゼか110番していた。 Siriに助けを求めた様な気もするからその為か?そういえば電話で誰かと話した記憶が…。場所の詳細を聞かれたが、答えられず、慌てた記憶もある。そこから先はよく覚えていない。お巡りさんが来てくれた様な気も、記憶がかなり曖昧ですが、有難う御座いました。その後救急搬送されて病院へ

入院後、高熱が続き、最初はコロナ陰性だったが、結局コロナだった。後でお医者さんに聞いたら、コロナきっかけで発作が起きたとの事だった。なんてこったい。

 前回の発作以降、何年も発作がなく、薬をやめて、半年後の検査で何ともなくて、もう大丈夫だと思っていたら、まさかのコロナからの発作とは、最近、油断して外食とかしてたからかな。あーあ、また振り出しだよ…残念、悔しい、でも仕方ない。そういえば、外で発作だったから、人がいて助かったんだとも言われたな。家で1人なら、前回みたいに暫く気づかれずにいたかもしれない。不幸中の幸いか。

まだ入院中だが、なる早で、体力回復させて復帰たい。

まあ慌てず、頑張ってこーか。

また倒れてしまった様だ

気がついたら病院だった。

発作を起こして気絶しているところを発見されて、以前、手術を受けた病院に救急搬送された様だ。

9/8のことだった様だが、なんか電話がずっと鳴っていて、でも取れなくて、そう、気がついたら病院だった。

 今日はもう9/14だから6日も経っているらしい。自覚がない。(起きてはいたらしい 24/4追記)

入院前日の9/07に同じ病院で心臓の検査を受けていた。以下、スマホの記録より
「台風の為、13時よりバス動く。バタバタと出かけ、14時少し前に着いた。大きさは去年と変わりない。血液検査の結果も血圧も問題ない、16:00過ぎに終わった」

重症寄りの中症ってな表現をされた様な記憶が有る。

 そうよ、台風来てたよなあ、どうなったんでしょう。今、外の風景を見る限り世は無事だった様だが。

あと背中がやたら痛い、ハンガーラックに倒れ掛かっていたとか。

うーん何がどうなっているんだか?

取り敢えず、9/17退院が決まって、それ目指して頑張ろうと思う。

 

今日はここまで。

 

 

一区切り

私は、この一年ほど、障害福祉サービスを受け、自立訓練を行ってきました。
それが、先達て終了しました。

最終日には、お世話になった方々皆さんに、お見送りを頂いた。
ちょっとした卒業式みたいなもんかな。
本当にありがとうございました。
本当こんなにいいのかと言うほどお世話になりました
本当に本当に・・・名残惜しくて、有り難くて
ああ涙が止まらない。
私が社会復帰することが恩返しだろう。
頑張ります!

今後は、就労移行支援に移ります。先はいずこかいつか。